アイエスエイプランのミッションの側面というか、見方を変えてみんなが直面する問題意識の捉え方について話してみたいと思う。
一生懸命仕事していると、頑張っているのに認められないとか、自分の努力を認めてもらえないって感情が湧き上がってくる事がある。個人的には一生懸命が空回りしているので悪い事じゃないと思うけどこれが長く続くと色んなところに歪みを生む。
現象としては何を悩んでいるのか分からないという感じ。
客観的に観察してみると、そもそもの努力の「目的」が明確でない場合と、現状と目的の乖離、課題や問題が具現化されておらず打ち手が適切じゃない場合に分かれる。
前者の場合は、まずターゲットを決める。誰を助けたいのか?喜ばせたいのか?の誰を明確にする必要がある。次には、助かっている・喜んでいる状態を作るには何をすれば良いのかを明確にする必要がある。
後者の場合は、前者を包含した上でなりたい姿にする為にどのような阻害要因が存在するのか?を明らかにする必要がある。これは結構難しくて、アイエスエイプランでは課題感を深掘りするというニュアンスでディスカッションする事が多い。その課題が明確になると打ち手(解決方法)は経験的に結構簡単な場合が多い。
ここで両者ともに言える事は、その事象を言語化する必要があるという事だ。人は思考する時に言語に置換して思考する。当たり前だけど、ここでモヤモヤ・ざわざわの状態を言語化できず端折ってしまうと自分は認められない・自分に合わないと良く分からない結論に達する。
そういった点で古くの
「世の為人の為」
「義利合一」
「世の中の人々が求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない」
との言葉があるが、ビジネスはまず自分ではなく、相手をハッピーにする事に優先順位を置く事が重要で、これを実現するには何をしたらハッピーになるか?を言語化・知るという事がスタート地点とするべきだと考える。